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死について患者さんと話すことによって病気がさらに重篤になるなどということはこの時点ではもうないわけです。ところが親戚や家族からいえば、死の話など本人としてくれるなというわけです。死について患者と話したら患者がどう反応するかわからない、それが怖いというのが家族の心理です。
死について話す
愛する人に何を言ったらいいかわからない、何を言ったらいいのか教えてくださいといわれたことはないですか。みなさんは患者さんと話をしますか。患者さんと死の話をしないでくれ、本人とは口を利いてくれるなと家族が言った場合には、カウンセリングが必要なのは患者さんではなくて家族なのだということのサインです。恐怖心をもっているのは家族なのですから、家族と話す必要があるわけです。いちばん望ましいのは患者と家族と一緒に死について話せることですが、まず最初にそれぞれが相手にそんな話をしたらどうなるかという恐れの壁があるわけですから、恐れの壁を最初に取り除かなければなかなか一緒に話はできないということです。まず患者と話をする、患者の言うことを聞く、または患者とコミュニケーションをする方法はいろいろあるわけですが、悪いニュースを伝えたあとはとにかく患者や家族の言うことに耳を貸す、その言っている中から往々にしてヒントが得られるからです。
患者さんが、「私は死ぬのでしょうか」という質問をしてきたときに、それを聞き捨てにしないできちんと答えてあげることが必要です。患者さんがそういう質問をしてきたときにこちらが逃げないでその気持ちを受け止めて逆にその質問を投げかけてあげる。なぜそういう気持ちがするのですか、なぜそういうことを言われるのですかということを問い返せば、患者さん自身が自分の問いに自分で答えを出すでしょう。
コミュニケーションをうまくとるためのヒントをいくつか並べておきました。
まず、?沈黙があることを恐れてはならないということで、そういうことが私どもの立場であると思います。?患者さんと自分の位置関係をどう保つか、真っ正面から向かってしまうとお互いに逃げ場がなくなってしまう、ですから斜めに立って患者さんが顔を背けたいときには背ける場所があるように残しておいてあげる。?質問もイエス、ノウではなくて、もっとオープンに、「痛みますか」というような質問ではなく、「どういうふうに痛みますか、痛みについて教えてください」、「どういう恐れをおもちですか」といったように相手が答えられるような質問をするということです。
コミュニケーションをうまくする秘訣はいろいろあると思いますが、いちばん大事なことは、私たちは神様ではない、患者と同じ人間である、弱みをもった痛みを感じる人間であるということです。そのことを患者に理解してもらえば、患者さんとしても私たちと話しやすいのではないかと思います。
それぞれチームでやっているわけですから、それぞれの役割、強いところをそれぞれの人が果たすということが大切で、必ずしもナースではなくてむしろソーシャルワーカーが患者さんと接するほうがいいという場合もありましょうし、必ずしもドクターではなくてむしろチャプレンの出番だということもあるだろうと思いますので、チームのそれぞれが自分の強みを生かすことが大切です。
私どもから見たQOLを家族や患者に押しつけてはなりません。みんなに囲まれて死にたいという人もあれば、一人で静かに息を引き取りたいという人もいるわけですから、それぞれのニーズが何かということをこちらが聞いてあげる必要があります。未解決の問題をまだ心の中にもっていればなかなか静かに死ぬことはできない、財政的な問題もまだ残っているかもしれない、遺言も書いでないかもしれない、宗教的・霊的な意味でチャプレンや神父と話したいということがあれば、それぞれそのニーズにはきちんと応えてあげなければなりません。
子供たちの存在も忘れてはならないと思います。子供たちに何と言っていいかわからないから子供たちが忘れられた存在になるということはよくあることだと思います。一般論ですが、子供たちというのは非常に柔軟な存在ですから、正直に誠実に対応することが大切で、子供たちの心の痛みも聞いてあげて、できれば子供たちの問題に答えを与えてあげる努力をすべきです。悲しみたいのであれば恋しめる環境を、怒りたいのであればそれができる環境を、やるせない気持ちをどこかにぶつけたい、アグレッシブになりたいのだったらそれができる環境をつくってあげる、提供するということが私どもの務めだと思います。それができれば亡くなったあとの遺族の気持ちを和らげることに大きく貢献できるはずです。
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